時は金なり、人生はサーカスなり

医療職だったライター、副業で生きてる 徒然なる本音をずらり

適応障害日記 ー障害を認めた日ー

 

 

こんにちは、白嶋です。

 

私は去年の夏ごろに「適応障害」と診断されました。
そして、その後は軽い鬱に。

なかなか認めてあげられないんですよね、だって見た目は普通なんですもん。
見えない障害ってこんなに辛いんだ、って思いました。

 

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そんなどうでもいいような体験談ですが、もしも誰かの心に少し役に立つことがあれば、と思いちょっとずつ綴らせていただきたいと思います。

 

 

 

適応障害になったきっかけ

私は元々医療職に従事していました。
関わる分野には精神科も含まれているので、精神病についても詳しかったです。

適応障害というのは、「ある特定のストレスにさらされた時に抑鬱などの症状が見られるが、その他日常生活は普通に送れる」というもの。(鬱は日常生活にも支障をきたす場合のことを指します)

 

去年の1月、私は北海道から関東に引っ越しました。
それは社会人2年目の冬。3年目になるころ、私は人手の足りていない大きな病院に勤めました。

私は自他ともに認める前向きな性格で、精神病になるなんて誰も想像つかないような人間でした(;´・ω・)

 

1月~4月 環境の変化による体への異常

北海道から関東に来た私は、まず体に異常を感じ始めました。

  • 水がまずくて飲めない
  • お風呂に入った後は体がかゆくなる
  • アレルギー検査をしても陰性なのに、花粉症の症状が出る

などなど。でも、すぐに慣れるだろうと放置していました。
でも、この頃から少しずつではありますが、なぜかわからないけど涙が出たり悲しいと落ち込むことが増えました。

 

大好きだった仕事を、「好きだ」と思えていない自分にも戸惑っていました。

 

 

4月~6月 職場環境の悪さを身に染みて感じる

私が勤めていた職場は、「早く出勤した人が頑張っている」「遅くまで残っている人が頑張っている」という昔ながらの習慣が根付いている病院でした。

そして、「年功序列」が前に出すぎているほど、年上を気遣いまくる職場。

 

私の資格は、全国的にも人手が少ないため、一つの病院に従事している人数も少ない場合が多いです。
入職した病院では、私を含め3人の先輩がいました。

しかし、みんな仲が悪かったんです( ;∀;)
これはさすがに困りました。悪口の言い合い、悪い空気、一番下の私への八つ当たり、などなど…

 

そしてもっと困ったことに、4月から新卒の後輩が入職してきたのですが、その子がまた強者!!
先輩たちから注意されたことや、必ずしなければいけない仕事を忘れてしまい、常に先輩方をイライラさせていました。

科長からは、「あなたが一番年齢近いんだし、あの子が潰れないように見ててね」と言われ、終始先輩の愚痴と後輩の指導に挟まれる日々

 
徐々に気温も高くなり、私は少しずつ体調を崩すようになりました。
 
 
6月~7月 仕事を休みがちになる

この頃から、「何かおかしい」ということは感じていました。

しかし、私は北海道から出てきたばかりということもあり、周りの人からも「環境に慣れていないんだよ!」と言われていたので、体調を崩すことや夜眠れないことも、関東の空気に慣れていないからなんだ!と思うようになりました。

 

でもおかしい。朝が辛くて仕方がない、朝礼で具合が悪くなって早退することもしばしば、胃が痛くてご飯が食べられない

総合病院をいくつか受診しました。CTなどの精査も受けましたが、結果は毎回「問題ありませんね」。

 

そこで、お母さんに連絡をしてみました。
するとお母さんは、「やっぱりずっと思ってたんだけど、精神科受診してきたら?」と。

私は、その時もまだ、まさか自分が(笑)と思っていました。

 

8月 心がぽっきりと折れて、精神科を受診する

私を精神科受診に後押ししたのは、母の言葉ではなく、業務に支障が出たことでした

患者さんを治療している最中、ものすごい吐き気に襲われた午前。
歩ける患者さんだったので、自分で部屋に戻ってもらい私はそこの治療室で倒れて気絶していました。

 

冷や汗が止まらず、吐き気で何度もトイレに駆け込みました。
もし歩けない患者さんだったら、もし集中治療室なんかでこんなことが起きたら、と考えると、もう私に残された道は「精神科を受診する」のみでした。

大好きな仕事が出来なくなった。これが、私の心をぽっきりと折りました。

 

精神科を受診して、主治医となった先生は私の現状を聞いて言いました。

「典型的な適応障害だよ」と。

 

 

 

“障害”と診断されて、私は

その時、何とも言えない気持ちになったことを覚えています。

今まで私の身に起きていたことは、自分の弱さやダメな部分ではなく、「障害」のせいだったんだ。と思うと、気持ちが楽になりました。

 

でもそれと同時に、「情けない」という気持ちも湧いて出てきました。
これからどうなってしまうんだろう。治るのだろうか。ずっと障害を抱えるのか。

主治医の先生は、「今は薬を飲んで様子を見てみましょう」と言いました。

 

次の日、薬を飲んで仕事に行きましたが、家では体調が落ち着いているのに、やっぱり職場に行くと具合が悪くなる。
それどころか、身体症状は悪化する一方で、仕事を休職する寸前のときなんて「ベッド寝ているはずなのにめまいがして、天井がぐるぐる回っている」という状態でした(笑)

 

さすがに、「ああもう無理なんだな」と悟りました。

 

 

「みんなは働いているのに、私は何をしているんだろう」

この気持ちにずっと苛まれてきました。療養中なのに、上手く療養なんてしていられませんでした。

鏡を見ても、前より少し元気が無くてやつれた程度の自分がいるだけ。
障害を象徴するような傷とか怪我があればまだしも、大きな変化なんて無くて、自分が世の中の役に立たない「出来損ない」に思えました

 

「抑鬱気分のときは太陽の光を浴びよう!」

「お肉を食べて元気になるホルモンを活性化させよう!」

 

原理はわかるけど、その時は何も私の役には立ちませんでした。
何もかもが辛かった。ただずっと、天井を見て泣いて、泣き止んだら黙っている、という生活を繰り返していました。

鬱を乗り越えた先輩がアドバイスをくれても、それは「成功者の経験談」にしか聞こえなくて、「私には無関係な物語を聞いている」感覚でした。

 

 

主治医の先生には、「時間が解決してくれることもあるよ」なんて月並みな言葉をいただきました。

だいぶ回復した今ならわかりますが、その時の私は「そんなの同年代の女の子でも言ってくれるわ!」と内心思っていましたね(笑)

 

 

 

 

自分が障害なんだと認めた日、私は社会人失格のように思えました。

でも、それまで苦しかった起床や通勤、就業に先輩の嫌がらせなどから解放されて、ホッとしたのも事実。

 

私のブログタイトルがいつか、社会人失格じゃなくなる日は、本当に自分のことを受け入れてあげられた日になるんだと思います。

現在は何とか今まで貯めていたお金と副業で生活していますが、いつか前の仕事に戻れるようになることを目指して日々頑張ろうと思っています。